先生に教えてもらった【3つの大切なこと】

大人になったわたしたちにも、先生と呼んでいた人がいることでしょう。

そうして、多くの子どもたちは学校に通い、毎日の生活の中で少しずつ成長していきます。

わたしが考えるに、先生とは、子どもたちの成長を導き、己の心を伝える存在です。

今回は、わたしが中学校や高校で出会った、大切な先生方の教えを綴ります。

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恩師に教えてもらった大切な3つのこと

おまえは独りじゃない。もっと まわりに頼れ。

中学2年生のとき、担任だったK先生に言われた言葉です。

中学2年のわたしは、生徒会執行部に所属し、朝早くから下校時刻まで、忙しい日々を送っていました。

そんな折、生徒会活動で部活に行けないことを妬んでか、一部の先輩や、同じ学年の子たちに無視されるようになりました。

それだけでなく、生徒会活動が活発になり、会議の回数が増えていきました。

この頃のわたしは、2つの圧力に耐え切れず、初めて遅刻登校しました。

 

担任のK先生は、わたしの異常に気付き、登校してすぐ面談してくださいました。

今まであったことをK先生に話し、なんだかスッキリした気がしました。

そして、そのとき、

「おまえは独りじゃない。もっと まわりに頼れ。」

と言われました。

今のわたしからすれば、もっと人を信用して、生徒会の仕事をほかの人に投げてもよかったな、なんて思います。

こうして、わたしは 人を信じ、頼ることが苦手なのだと思い知らされました。

高校生になってからの生徒会活動でも、同じ過ちをし、さらに人に頼ることの大切さを学びました。

一人でできないことは、ほかの人に手伝ってもらえばいいんですよね。

細かい指示さえ出しておけば、ほかの人が手を出しても、目的のものに近くなることが分かりました。

 

作業をするときは、完璧主義者の自分が2人いたら早く終わるのにな、なんて考えたこともあります。

しかし、完璧主義は、どこかで壁にぶち当たります。

そして、つらい思いを経験することになるのです。

これは、わたしがすでに経験したからこそ言えることです。

 

高校を卒業してからは、完璧主義者を脱しました。

「これぐらいでいっかぁ~」

と流せる人こそ、ほかの人と うまく世の中を渡っていけます。

 

しかし、わたしは、完璧主義者を完全に脱し切れてはいません。

「まぁいっか」と言える人になること、それが今のわたしの目標です。

大切な人と同じように、自分も大切にするんだ。

中学3年生の担任M先生に言われた言葉です。

このとき、わたしには、親友がいました。
大人になった今でも、その子とは1年に2回は会っています。

しかし、中学3年の当時、その親友と仲たがいをしたことがあります。

このとき、わたしは「死にたい」と思ったのです。

担任のM先生は、わたしのやつれ具合を見かねて、声をかけてくださいました。

そのときに、言われたのが、

「大切な人と同じように、自分も大切にするんだ。

じゃなきゃ、オレが悲しくなる。」

という言葉でした。

 

M先生のことは、好いていたので、

先生を悲しませたくない!

と、先生の言葉を聞いて思いました。

 

そうして、自分の命を大切にすることと、死んだらだれかを悲しませることになると教えていただきました。

また、親友を信じるとともに、自分自身を信じることも大切なのだと教えていただきました。

 

さらに、次のことも学びました。

一生かけて付き合える、本当の友だち、真友(シンユウ)を見つけるということです。

親友
親しい友だけでは、まだまだ「シンユウ」には程遠いです。

心友
心から通じ合える友も、まだ「シンユウ」とは言い切れません。

真友
命を賭けてでも信じられるのが本当の友なのです。

こうして、真の友情をもつもののことを「シンユウ」と言うのです。

 

わたしは、よき真友に出会えたなと思っています。

それは先生のおかげでもあります。ありがとうございます。

人事を尽くして天命を待つ

これは、漢語のひとつとして、高校の教科書に載っているものです。

この言葉を初めて聞いたのは、高校受検に向けて、中学3年の担任M先生がおっしゃった言葉です。

大学受験のときも、教員採用試験のときも、この言葉を胸に、一生懸命勉学に励みました。

 

自分にできること(人事)を精一杯行い、その後は、結果(天命)を待つだけだ、という言葉です。

その言葉の裏には、自分にできることは、後悔しないように努力しきることが隠されているように思います。

当時、この言葉を紙に何度も書き、勉強机に貼っていました。

そのおかげか、無事に第一志望の高校に合格しました。

さらに、教員採用試験にも、現役で合格しました。

ありがとうございました。

あこがれていた「先生」になって言えること

わたしは、幼い頃から、先生という身近な大人にあこがれていました。

先生になろうかな、と考え始めたのは、中学1年生の終わりからです。

それまでに出会っていた先生方に刺激を受けて、いろんなことを教えられる人になりたいと思いました。

それには、まず、人一倍の勉強をして、いろんなことを知る必要がありました。

だからこそ、わたしは、まわりの人の2倍以上は勉強に取り組んでいました。

夏休みの自主勉強は、ノート1冊が課題だったとしたら、3冊目までやってしまうくらいの子でした。

単に、負けず嫌いだったことも関係していますが…。

 

そんなわたしは、大人になった今でも、担任していただいた先生方の顔と名前を覚えています。

小学生や中学生だった頃の記憶は、断片的ではありますが、場面ごとの言葉や先生のしぐさをはっきりと覚えています。

人間観察が好きだったこともあり、わたしの前に立つ先生に興味がありました。それも事実です。

 

ただ、学校現場では、本当のことを教えられないという側面もあります。

つまり、ウソをつかねばならないのです。

ご存知のかたもいらっしゃるかと思いますが、教科書にもウソが書かれている場合があります。

 

 

先生にウソをつかれたことだって何度か経験しています。

ひどかったのは、高校3年生のときの、担任していただいた先生に、「大学受験、成功するって信じているよ」と言われたことです。

第一志望校の模擬試験における判定は、ずっとCだったのに、です。

わたしは、当時、無様にも風邪を引き、第一志望校からは不合格の通知を受けました。

 

今では、担任の先生の気持ちも、わたしには分かります。

努力して、大学卒業と同時に高校の先生になれたからです。

 

きっと、あのときは、生徒であるわたしのことを励まし、勇気づけるために、「頑張れ」と言うしかなかったのです。

 

たとえ、受からないと思っていたとしても、生徒を信じて1%の可能性に賭けてみることも必要だと学びました。

だから、わたしが高校の先生になったときは、生徒の夢を精一杯応援してやりました。

ほかの先生や保護者のかたが何と言おうと、一度きりのあなたの道なんじゃないか。
ほかの人任せにしてたら、後悔するぞ。
あなたの道なんだから、あきらめるなんて言うな。
夢を追い続けろ。
必ず夢が叶うって、わたしは信じてるから。

そんなことを言いました。

また、生徒に宛てた手紙に書いた記憶もあります。

気持ちの面で、生徒を支えられる先生になれていたのかな、なんて思います。

 

こうして、わたしの心が生徒に受け継がれ、さらには、次の世代へと受け継がれていく・・・

すばらしい世界に身を置いたなと思います、本当に。

 

先生は、子どもたちの心に影響を及ぼしやすい大人です。

そのことを強く自覚して、先生は、子どもたちに「心を通したつながり」を教えてあげましょう。

それが今後の日本や世界をつくる大きな力になるはずです。

 

大変な仕事ですが、あなたが大切にしているものを、今の子どもたちに伝えていきましょう。

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