教員の副業【塾】年間400万円稼げた
「教員を辞めたい」
そう考える先生が増えているように思います。
今回は、20代だった わたしが教諭を辞めて、塾の経営を始めたときの実績をお伝えします。
この記事で分かること
・教諭を辞めたい方が優先すべきこと。
・教員(非常勤講師)を副業にすること。
・初年度は教員をやりながら本業で塾を経営すればよいこと。
・教員よりもラクな生活が手に入ること。
教諭を辞めたい?辞める?
あなたは、次のうち、どちらの考えに近いですか?
「教諭を辞めたいけど……」
「教諭を辞めよう」
もし、「辞めたいけど……」とお考えの場合、多くは、教諭を続けるべき理由を探していると言えます。
実は、このとき、頭の中では、正規教員を続けている自分を想像しているのです。
つまり、心のどこかでは、「教諭を続けてもいいかな」と思っていると言えます。
そのような方は、まだ辞めなくてもいいと考えます。
今の安定した状態から脱する覚悟が足りないからです。
これに対して「教諭を辞める」と決めた方は、辞めてもいいと考えます。
きっと、教諭を辞めた後で どのように生活していくかをよく考えた上での決断だと思いますから。
もし、覚悟がないのであれば、退職は待ってください。
若手教諭が辞める前にするべきことを次に書かせていただきました。
ストレスなく退職するために、ぜひご覧ください。
ちなみに、わたしは、初任者教諭だったときに
「教諭を辞める」
と決めました。
そして、
「日本の教育を変えたい」
「子どもたちのためになる塾を立ち上げよう」
と思い立ちました。
正規教員として勤めつつ 開業の準備を行い、退職と同時に学習塾の経営を始めました。
安定なのか、現状打破なのか……。
あなたが優先しようとしていることは、見えましたか?
どのような場面でも、目標がある人は自然と強くなれます。
現状を維持しようとする自分に打ち勝ち、新たな一歩を踏み出す勇気をもってください。
安定志向から抜け出せないなら
退職を待った方がいいと言われても、教諭を続ける気はないです。
かと言って、教諭を辞めると生活が苦しくなるし……。
そうした考えをおもちの方も少なくありません。
そこで、退職翌年度は、わたしのように非常勤講師をすればよいのです。
「え?非常勤講師って不安定じゃないの?」
そうお考えになる方も少なくありません。
なぜなら、一般的に 非常勤講師は、授業を実施した分しか給与がもらえないからです。
わたしが正規教員として勤めていた公立高校・自治体も、非常勤講師は授業をした分だけの支払いという形でした。
つまり、学校行事や休校などで授業がなければ、その分 支給額が減ってしまうということです。
そこで、安定志向の方には、同じ非常勤講師といっても、月給制での勤務を強く勧めます。
わたしは、退職前に「講師登録」をしていました。
そこで、ちょうど月給制の私立高校からお話をもらい、翌年度からの雇用契約を退職前に結ぶことができました。
その私立高校での面接の際、管理職に質問してみました。
すると、私立学校だったとしても、月給制ではないところもあるとのことでした。
今回、偶然 お話をもらった私立高校が月給制だったということです。
さらに この後、本当に「月給制」の有難みを感じることになりました。
なぜなら、そのときは、まさか コロナウイルスの感染拡大によって、4月から5月まで 休校が続くと思っていなかったからです。
公立高校に勤めていた非常勤講師の先生は、休校期間になった当時
「4月は、収入が0になった(泣)」
と嘆いていらっしゃいました。
休校期間は、非常勤講師の出番はなく、給与発生源となる授業がまったくなかったからです。
これに対して、月給制の非常勤講師たちは、休校中も安定して給与をもらうことができました。
ちなみに、わたしが休校期間中の4~5月に出勤したのは、新転任者研修があった半日だけです。
この1日の出勤だけで、なんと 20万円以上ももらうことができました。
そのおかげで、生活費を気にすることなく、塾の広告宣伝活動に時間をあてることができました。
だから、もし安定して収入を得たい場合は、月給制の非常勤講師としての勤務がお勧めです。
教員を副業に、年400万円稼ぐ
学習塾を経営し始めたばかりのときは、まだ副業レベルの事業でした。
平日の午前を私立高校での勤務にあてていましたが、そちらの方が本業らしく思えました。
しかし、
「なんとかして、この1年間で塾生を5人以上にする。」
と目標を立て、ひたすら できそうなことを試してみました。
周りの人からは、
「コロナウイルスの影響で、塾生集めにはムリがあるんじゃない?」
と言われ続けました。
そんな逆境を撥ね退けられるのが、わたしの取柄です。笑
なんと、開業4か月で非常勤講師の収入を上回ることができました。
学習塾経営が「本業」と呼べるようになったときは、本当にうれしかったです。
そして、目標以上に 塾生の方々が集まってくださり、半年で教諭だったときの収入さえも上回るようになりました。
開業して半年、非常勤講師を続けながらではありましたが、月収37万円を超え、事業拡大が目に見えてきたことが喜びでした。
わたしの塾では、各シーズンに講習会を開いていますが、これは先ほどの月収に含めていません。
そのため、月によっては、もう少し金額が高くなることもあります。
講習会などの料金を除いて、月収37万円を1年間に換算すると、444万円です。
これを聞いて、
「きっとブラックな働き方をしているのでしょう!」
と言われるかもしれません。
しかし、わたしは、いたってホワイトな勤務をしていました。
教員よりもラクに稼げる
わたしは、初任者教諭時代の秋以降、定時に出勤し、定時に帰るようにしていました。
勤務時間は、毎日およそ8時間でした。
持ち帰り仕事も、年間2回程度の採点業務(2時間で終わる量)しかしませんでしたので、仕事が速い(帰りが早い)若手教員として評価されることもよくありました。
ただ、教諭をしていると、どうしても時間に縛られる業務が出てきます。
高校入試の日には勤務時間が12時間以上になったり、休日には部活動の顧問としての勤務があったりしました。
こうした時間外労働が、わたしには窮屈に感じられました。
これに対して、塾 開業1年目の勤務をご覧ください。
- 私立高校での勤務:午前の3時間
- 塾での勤務:午後の5時間
勤務時間は、合計8時間でした。
ちなみに、塾での勤務は、すべて在宅ワークです。
自宅にいながら教えるので、リラックスして行えるという感覚です。
また、毎週 日曜日と月曜日は、私立高校も塾も授業をなくし、オフ日にしました。
さらに、塾にいたっては、ゴールデンウィーク、お盆、年末年始を定期休業期間にしたので、1週間以上のまとまった連休を年3回は確保しました。
年間125日は休日です。
勤務時間は、どちらも同じ8時間ですが、教諭をしていたときは、通勤に10分かけていました。
これに対して、学習塾には、通勤時間がかかりませんでした。
言い換えると、「自宅 兼 学習塾」というスタイルで開業したのです。
通勤時間だけでなく、通勤のストレスもないという点で、はるかに塾経営の方が教諭よりもラクだと感じました。
以上のように、開業1年目は、午前に非常勤講師として働きに出て、午後に自宅を教室として開放するという生活をしていました。
だからこそ、余計に、個人経営塾のラクさを強く感じた次第です。
もともと個人で指導することは好きなので、塾で子どもたちを教えている時間は、趣味のような感じです。
教諭のように、何かに縛られながら仕事をする必要もありません。
個人的には、仕事をしているという感覚ではないからこそ、伸び伸びと経営ができるのだと思います。
責任の所在は自分
楽しく指導できる反面、一人の大人として子どもたちに何かを教えることは、責任重大だとも考えています。
たとえば、相手をする子どもによって話す言葉を変えたり、配慮をしたりすることも必要です。
もし、間違えた言動をすれば、どうなるでしょうか。
塾には、管理職はいませんから、自分自身で責任を負わなければならないのです。
開業1年目のとき、教諭時代には感じなかった「責任の重さ」というものを強く感じました。
そう考えると、教諭のあなたは、ツラいですか?
もし、ツラいのなら、自分で稼ぐことは諦めて、一生 人に雇われる立場であった方がいいかもしれませんね。
わたしは それを覚悟の上で起業し、すべて自分で行うからこその楽しさを日々 味わっています。
経営の楽しさは教諭では教えられない
そして、一つ言えるのは、わたしなら子どもたちに 自分で稼ぐ方法を直接 教えてあげられるということです。
子どもたちが生きていく これからの時代は、自分で稼ぐ力が必要になるだろうと考えています。
何もないところから事業やアイデアを生み出すには、行動力や勇気、洞察力が必要です。
そうした0から1を生み出すためのパワーを、少しずつ子どもたちに授けたいと思っています。
もちろん、この記事が あなたにとって、自分で稼ぐパワーやきっかけになれば幸いですし、心からそうなることを願っています。
とりあえず、わたしは、これからも目の前にいる大切な子どもたちのために、今できることをやります。
そして、今後も、子どもたちのためになることを考え、行動し、伝えていきます。
あなたも、一緒に動きましょう!
最後までお読みいただき、ありがとうございます。