学校で強制【読書感想文】メリットが大きい
夏休みになると、決まって出される「読書感想文」という宿題…。
実は、親が書いているようでは、子どもの力を奪っているのに等しいことをご存知でしょうか。
今回は、書かされる読書感想文の意味・意義について お伝えします。
なぜ読書感想文を書かされるのか
そもそも、読書感想文を書く意味はあるのでしょうか。
一部の人は、「意味はない」と断言し、読書感想文の廃止を唱えていらっしゃいます。
わたしも、小・中学生のころであれば、廃止論に賛成していたかもしれません。
しかし、今は、賛成できません。
読書感想文を書く意味がやっと分かったからです。
高校生までの子どもは、まだ日本語に十分 慣れていません。
相手に伝わるように話したり、言葉の背景にある内容を読み取ったりする能力に欠けています。
だから、子どものうちは、誤った日本語表現をしがちです。
もし、子どものうちに、正しい日本語で表現する能力を身につけておかなければ、将来、困るのは子ども自身です。
正しい日本語で表現できないため、まわりの人たちとの意思疎通がうまくできなくなります。
まわりの人がそれに気づいてフォローしてくれればよいのですが、なかなかそういう訳にもいきません。
社会に出ると、厳しい現実が待っています。
わたしの知る限りでは、まわりの人とうまく人間関係を築くことができず、引きこもりになってしまう人がいます。
そうして、病院で「コミュニケーション障害」や「適応障害」という診断を受け、社会と隔たりのある生活になってしまいます。
社会とのかかわりがなければ、コンプレックスである日本語で表現することが ほぼなくなります。
本人にとって、ストレスの原因になっていることから離れられるため、一見よさそうに見えますよね。
しかし、こうなると、さらに日本語で表現する機会が失われるので、根本的な解決にはならないのです。
以上は、ひとつの例ですが、自分の子どもを、将来 困らせたくないと考える親のほうが多いでしょう。
子どものころからの経験の積み重ねはとても大きいものです。
これは、大人になれば分かることなのですが、子どものうちは分かりません。
であれば、誤った日本語表現をしがちな子どものために、今 大人ができることをするだけです。
早い話が、正しい日本語に たくさん ふれさせることです。
英語教育の重要性が叫ばれていますが、それ以前に、正しく日本語で意思疎通できることが重要です。
英語教育と同じように、読むこと・書くこと・聞くこと・話すことに重点をおいて、日本語にたくさん ふれてもらうべきだと わたしは考えます。
このためには、子ども自身が、正しく表現された日本語にふれ、文章を読み取り、感じたことを自分の言葉で表現することが必要です。
そう、もっとも手っ取り早いのが、読書感想文を書かせることなのです。
社会の変化と子どもたち
今の子どもたちの多くは、読書感想文に対して、マイナスの感情をもっていると考えられます。
「書きたくない」
「やりたくない」
「意味がない」
わたしが教員だったとき、気づいたことがあります。
今の子どもたちは、自分の手を動かすことに消極的だということです。
わたしが学生だったころは、スマートフォンなんて ありませんでした。
そのため、すべて自分の手で書く必要があったのです。
これにより、わたしは、今でも 手で文章を書くことに 抵抗がまったくありません。
これに対して、今の子どもたちは、スマートフォンやパソコンが身近にあります。
手で書かなくても、タイピング入力やフリック入力で、文章を「書く」ことができてしまうのです。
指の動きだけで文字が書けるので、ラクですよね。
そうして社会全体で、効率化・高速化を求めた影響が、今の子どもたちに表れてきてしまっているのです。
つまり、読書感想文がイヤというより、そもそも「書くこと」自体 イヤだと思っていると考えられます。
さらには、子どもの活字離れも よく話題に挙がります。
最近は、インターネット上にある情報を得て満足する子どもが多く見られます。
そのため、紙媒体の書籍を読むことがかなり少なくなってきています。
スマートフォンやパソコンの画面で文章を読んでいるとき、ヒトの脳は、あまり はたらいていないことをご存知でしょうか。
これに対して、紙媒体の書籍を読むと、脳が よくはたらくことが分かっています。
脳は、神経細胞の集合体です。
使わない神経回路は途切れ、情報が伝達されにくくなったり、伝達するのに時間がかかったりします。
スマートフォンやパソコンばかり見ているより、紙媒体の本を読んだ方が はるかに脳にとって良い効果があるのです。
しかも、脳の神経回路は、ほとんどが子どものうちに出来上がってしまいます。
このため、子どものころに、できるだけ頭をはたらかせるべきだ ということが見えてくるでしょう。
親の変化と子どもたち
昭和時代の親に比べて、今の親は、子どもに対して あま過ぎる傾向があるように感じます。
最近の親は、子どもが宿題をやっていなくても怒りませんし、学校で問題行動を起こしても「子どもは悪くない」の一点張り…。
こうして、子どもたちは親に甘やかされて育ち、いざという時のツラさに耐えられなくなっているのです。
また、「困ったときは、すべて親が何とかしてくれる」という、間違った考え方をもつ原因にもなります。
だから、子どものうちは まだまだ経験不足なのに、
「イヤなことから逃げ、好きなことだけしていればいい」
という保護者の方の考えには、個人的に違和感を覚えます。
子どもが痛みや苦しみを経験することも、生きる上で必要なものではないでしょうか。
それ経験する機会を親が奪ってしまっては、子どもの精神力が伸びません。
社会に出てから精神的に追い詰められ、ポキッと心が折れてしまいかねないのです。
心が折れた子どもを、子どもが死ぬまで、面倒 見切れますか?
わたしは、面倒見切れないと思います。
子どもが苦しむ姿を見ると、親としては、代わってあげたいと思うことでしょう。
しかし、そうした心を鬼にして、子ども本人に取り組ませるのです。
子育てに、あまやかしは禁物です。
あまやかしは、親の愛情とは別物です。
あまやかすのではなく、親の愛情を たっぷり子どもに注いであげてください。
子どもは、親のあまやかしを受け入れず、自分で自分自身を律することを学んでほしいです。
夏休みの終盤になり、親に言われて 宿題をやり始めるのではなく、自ら進んで宿題に向かっていきましょう。
子どものうちに頑張っておくことが、大人になってから 必ず活きてきます。
頑張りは、決して無駄になりません。
読書感想文を通じて得られる効果5つ
読書感想文を書くことに意味がないと まだ思っている方に向けて、得られる効果を挙げておきます。
文章を読む力がつく
子どものうちに何度も「本を読め」と言われるのは、日本語を早く正確に理解しなければ生きづらいからです。
何冊も本を読んでいれば、自然と 日本語が分かるようになっていきます。
つまり、文章をスラスラ読み、パッと理解することにつながるのです。
わたしの同級生にもいましたが、小学生のうちから難しい本を読む子どもがいます。
そうした子どもは、分からない漢字を辞書で調べたり、親に訊いたりしています。
つまり、本を読んで、その都度 日本語を勉強していると言えるのです。
また、読書をすることで、文章の内容を読み取る力もつきます。
とくに、わたしは、小説を読むことを勧めます。
小説では、遠回しの表現が出てくることがあり、読み取るのに想像力も必要だからです。
たとえば、太宰治の「斜陽」に次のような一説が出てきます。
( 前略 )ひらりと 一さじ、スウプを小さなお唇のあいだに滑り込ませた。
引用:太宰治「斜陽」
かんたんに 1さじのスウプを「飲んだ」と書けばよいものを、「唇のあいだに滑り込ませた」と表現しているのです。
こうした味のある日本語の表現にふれるのも大切だと考えます。
想像する力がつく
読書では、内容を読み取るだけでなく、その先の展開を予測することもできます。
先ほどの太宰治の「斜陽」冒頭部分を見てみましょう。
朝、食堂でスウプを一さじ、すっと吸ってお母さまが、
「あ」
と幽かな叫び声をお挙げになった。
引用:太宰治「斜陽」
この冒頭3行だけを読むと、お母さまが何かに気づいたのか、それとも何かを思い出したのか と想像できるわけです。
小説を読むと、頭の中で、このようなことを予想・予測します。
(まぁ、たいていの小説で、その予想は いい意味で裏切られるのですが。)
さらに、精神が発達してくると、登場人物の気持ちを想像するようになります。
主人公に心を寄せたり、悲しみのあまり涙が出たりします。
そうして、子どもの「心」や「情緒」をはぐくむこともできるのです。
自分の考えをもつことにつながる
本を読んでいると、
「それって本当なの?」
と突っ込みたくなる内容が書かれていることがあります。
もし、気になることがあれば、そのまま受け入れるのではなく、一度、頭で考えてみることです。
とくに、わたしは、批判的に物事を見ることができようになるのも大切だと考えます。
すべて「Yes」では、自分の頭で考えていませんよね?
受け入れるだけでは、脳をはたらかせていないことにつながるからです。
できるだけ、自分の考えがもてるように、さまざまな情報を 一度 批判的に考えてみることです。
自分の考えを伝える機会になる
自分が思っていることを伝えるには、「言葉」が必要です。
話し言葉でもよいですし、書き言葉でもかまいません。
ただ、読書感想文の場合は、書き言葉になります。
そのため、次の3点に気を付けなければなりません。
1.誤字脱字がないこと
2.順序立てて構成すること
3.読み手のことを思うこと
上記の3つを意識しても、自分が思っていることを誰かに伝えるのは、案外 難しいことです。
大人になっても、自分の考えをうまく伝えられない場面があります。
語彙力が足りない子どものうちなら、なおさら難しいと言えるでしょう。
そこで、文章を書くことを通して、伝える練習をする必要があるのです。
どのような文を書いたり、どの順で文を組み立てたりするのが良いか、子ども自身で考えるのです。
どうしたら読み手に伝わりやすいかを考える練習です。
読み手のことを考えず、だらだらと 100字以上でひとつの文を書く子どもがよくいます。
こうした改善の余地があるときは、親や先生が指摘して教えてあげるのが好ましいです。
ただ、最初から口を出し過ぎるのは、子どものやる気をそぐことになってしまうのでやめましょう。
子どもが書いている間は、そっと見守ることが親にできることです。
イヤなことを受け入れる練習になる
このメリットを得られるのは、読書感想文を否定的に考えている場合だけです。
読書感想文がイヤな子にとっては、本当に苦痛でしかないはずです。
こんなわたしも、読書感想文がイヤで、小学生のころは、泣きながら書いていました。
しかし、社会に出てみると、読書感想文よりも苦しいことが多々あります。
その苦しみに耐えられない社会人は、世間から非難されます。
さらなる苦しみを味わうことになり、これに耐えられず命を絶つ人もいるのが現状です。
つまり、生きている限り、痛みや苦しみからは逃れられないのです。
そうであるならば、苦痛とうまく向き合う術を身につけませんか?
その一歩として、イヤだと思っている読書感想文を書いてみましょう。
最初は、だれかの助けを借りてもいいかもしれません。
ただし、半分くらいは、すべて自分の手で書き、自分で完成させることです。
読書感想文を書くことができれば、ひとつの苦痛と向き合うことができたということになります。
自信をもっていいのです。
イヤなことから逃げず、受け止めたのですから。
ぜひ 自分に拍手してあげてください。
(まとめ)読書感想文を書くことで伸ばせる力
お伝えしたことのまとめとして、読書感想文で身につけたり、伸ばしたりすることができる力を列挙しておきます。
・字をすらすら読む力
・内容を読み取る力
・先を読んだり、察したりする力
・自分の考えや思いをもつ力
・自分の考えを表現する力
・順序立てて構成する力
・多くの文字数を書く力
・相手に伝えるための文章を書く力
・イヤなことから逃げない 耐える力
学校の先生や親は、以上のことを知った上で、読書感想文の意義を子どもにも伝える必要があるのではないでしょうか。
読書感想文を見誤ってはいけません。
「親が子どもの代わりに読書感想文を書いてしまえばいい」
と考えているのであれば、子どもの力を伸ばす機会を奪っているのと同じです。
たとえ、子どもが書く意義を理解するのに何年かかったとしても、いつか気づいてくれればいいのです。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。