生足 厳禁!知らないうちに損している!?
少しずつ夏が近づいてきました。
そんな今日 5月15日は、何の日か ご存知でしょうか?
そう、本日5月15日は「ストッキングの日」です。
最近、テレビ番組でも取り上げられている、ストッキング事情について、お伝えします。
ストッキングの日とは?
およそ80年前の今日、すなわち、1940年の5月15日は、アメリカの企業「デュポン」がストッキング業界に革命を起こした日です。
だから、その革命を記念して、「ストッキングの日」になったというわけです。
どのような革命が起きたのか、かんたんに説明しておきます。
1940年より前は、アメリカのストッキング市場を日本が独占している状態でした。
このころのストッキングは、絹でできており、養産業がさかんだった日本が生産の中心になっていたのです。
養蚕業というのは、絹(シルク)を作るもとになる、カイコの繭を得る産業です。
カイコが繭をつくるときの糸は、髪の毛よりも細く、人は、これをより合わせて1本の絹糸にします。
そうしてできた絹糸で、さらに織物が作られます。
ご存知のとおり、絹でできた織物は、とても繊細で、上品な光沢があります。
後々登場するナイロンよりも、はるかに値段が高いことも有名ですよね。
だからこそ、近代の日本では、養蚕業が支えとなり、日本の発展に一役買ったというわけです。
このような上品で繊細な絹のストッキングは、当時の価格で450円ほどだったと言われます。
その当時、国家公務員の初任給が およそ4,200円だったことからすると、相当 高価なものだったと推測できます。
ちなみに、2015年現在の国家公務員の初任給は、およそ18万円です。
かんたんに、今の価格に直してみると、約1万9千円にもなります。
(実際の物価は考慮しておりませんので、正確な価格ではありません。)
なんと、今 売られている1足500円のストッキングが、35足も買える価格だったのです。
驚きが隠せません。
だから、安いストッキングが売られるようになれば、自然と、高価なストッキングは売れにくくなる・・・。
まさに、アメリカの「デュポン」が開発したナイロンのストッキングは、日本の高価なストッキングの代わりになったのです。
ナイロンは安く手に入り、比較的に扱いやすいため、やがて日本でも販売されるようになりました。
1961年当時、ナイロンのストッキングは、およそ350円で売られていたようです。
その当時は、公務員の初任給が1万4千円ほどだったため、1足で約4,500円になります。
(実際の物価は考慮しておりませんので、正確な価格ではありません。)
ようやく、今売られている1足500円のストッキングが、9足買える価格になりました。
ここまでお伝えしてきた通り、アメリカ「デュポン」のナイロン製ストッキングの登場により、日本の絹製ストッキングは少しずつ姿を消していったのです。
早い話、これが「ストッキングの日」の由来です。
ストッキングを使うのは日本だけ?
では、ストッキングというのは、世界でも使われているものなのでしょうか。
答えは、もちろん、使われています。
ただ、海外だと、素足の方が多いイメージはありませんか?
わたしが1か月間、欧米にいたときも、日常生活でストッキングを穿いている方はあまり見かけませんでした。
やはり、海外であれば、素足のまま 直接パンプスや靴を履くのが ふつうになっているのでしょう。
つまり、日本のように、ストッキングを穿かなければならない国は、少ないのかもしれませんね。
日本にいると、「生足は恥だ」と言われるくらいです。
「生足だと恥をかく」はウソ?ホント?
では、世界から見たとき、「生足」は、どのように映るのでしょうか。
次のようなニュースがありました。
ある国の王室に入った方が、素足で ご公務に臨まれました。
しかし、王室の関係者は、次のように言っていたようです。
「ご公務をされる際には、王室のルールである ストッキングやタイツを着用すること」
今回、王妃は、そう言われていたにも関わらず、素足だったということです。
このことについては、一時的に 世間で大きく取り上げられました。
もうおわかりいただけましたでしょうか。
世界から見ても、素足・生足というのは、公の場にふさわしくないということです。
日本の文化でも「生足は非常識」
「公の場で、素足はふさわしくない」というのは、日本の文化にも存在しています。
たとえば、
他所の家を訪問するときは、失礼にならないように、足袋や靴下を身に着けて行くこと
が、当たり前になっています。
(残念ながら、最近の若者は、こうした気遣いを知らないのかもしれませんが・・・。)
日本では、家に上がるときに 靴を脱ぐ習慣があるため、素足・生足だと相手方に嫌がられる場合があります。
だから、日本の文化においても、「生足は非常識」だと言われるのですね。
こうした相手への気遣いは、古い文化だと言われることがありますが、日本が誇るべき文化だと思っています。
だから、「生足は非常識」のままでいいのではないでしょうか。
【ストッキング論争】穿くか、穿かないか
さまざまな場面で話題になる「ストッキング論争」は、「穿くべき派」と「穿かなくてもいい派」で対立が続いているように思えます。
実際のところ、日本では靴を脱ぐ習慣があり、多くの日本人はキレイ好きです。
一個人としては、家族以外の人に、我が家の中を 裸足で歩いてほしくありません。
(洗えるスリッパを お出ししています。)
ただ、ストッキングや靴下のように、足が何かに覆われているのであれば、許容できます。
きっと、感覚の違いなのでしょうけれど・・・。
ここからは、個人的な意見を述べさせていただきます。
公の場であれば、ストッキングを穿くことが常識だと考えます。
つまり、「穿くべき派」です。
なぜなら、お食事処などで お座敷に上がらせていただくとき、素足はみっともないと思うからです。
こう思うのは、生まれ育った環境、親からの教育・しつけによるものだと感じます。
なぜなら、「素足=みっともない」という感覚が 身体に染み付いているからです。
わたしは、小さいころから、
「ていねいな振る舞いを心がけ、気品ある大人になりなさい」
と言われながら、育ってきました。
実際に、わたしは、毎日ストッキングまたは、靴下を穿いています。
ストッキングに対して、違和感やイやな気持ちを抱くことは、まったくありません。
伝線したとしても、予備のストッキングを持ち歩くのが習慣になっていますし、お手洗いで穿き替えるだけですから。
わたしの家族には、「素足で出歩くのは、水遊びくらいだ」と言ってあります。
反対に、「穿かなくてもいい派」のかたは、公の場も素足ということなのでしょうか・・・?
それって、あえて自分が非常識な人間だと、周りに示しているように思えてなりません。
「自分はみっともない人間なんだよ~」みたいな。
でも、それも人間らしさがあって、ある意味、いいと思います。
それこそ、周りから「素足でいること」について、とやかく言われることを覚悟の上なのでしょうから。
ストッキングの伝線を防いで、上品な大人に。
もう一つ、ストッキングの伝線について、お伝えしておきたいことがあります。
それは、ストッキングの値段と使い方で、伝線する頻度が変わるということです。
わたしが安いストッキングを使っていたときは、毎週のように伝線していました。
しかし、少し値段が高いストッキングを穿くようになってからは、1か月に数回しか、伝線しなくなりました。
そのほかにも、足の爪は伸ばさないようにしたり、ストッキング5足をまわし使いしたりしています。
お手洗いに行ったときは、ストッキングのつま先を軽く引っ張って、ストッキングと指との間にすき間をつくるようにもしています。
こうした工夫をするようになってから、さらに伝線する頻度が低くなりました。
ストッキングが嫌い・苦手な方は、ストッキングに少し投資して、使い方を工夫してみましょう。
そうすれば、ストッキングと「お友達」になれると思います。
これに加えて、最近のストッキングなら、脚をとてもキレイに見せてくれますよ♪
やはり、上品な大人に近づくためにも、わたしは、ストッキングを穿くことを勧めます。
人は、外見で判断されやすいですからね。