学校管理職【職員会議】知らないと時代遅れ
学校の先生は、職員会議をはじめとした会議に明け暮れ、授業準備を後回しにさせられています。
はっきり言って、その会議は、本当に必要ですか?
また、会議の意味を間違えていませんか?
今回は、元教諭が管理職である校長・副校長・教頭の方々に向けて、学校の会議のあり方をお伝えします。
この記事で分かること
・今の会議はほぼ必要ない
・会議は報告会にすべき
・会議は10分で必ず終わる
・会議よりも授業準備を行う
・会議ゼロが多忙解消に貢献する
学校で必要な会議
わたしが勤務していた公立高校では、次のような会議がありました。
- 職員会議
教職員が一堂に集まって行われる。
- 学年会議
1~3年生の各学年団に分かれて行われる。
- 主任者会議
管理職と分掌・教科主任が集まって行われる。
- 教科会議
各教科に分かれて行われる。
- 分掌会議
各分掌に分かれて行われる。
- 成績会議
教員が一堂に集まって行われる。
- 進路検討会議
管理職、3年生の学年団や教科担当、進路指導部、希望者らが集まって行われる。
- 部活動顧問会議
部活動の第一・第二顧問が集まって行われる。
- 情報化推進会議
情報化推進委員会のメンバーで行われる。
- 入試選抜会議
入試選抜委員会のメンバーおよび全教職員で行われる。
こうした会議のうち、必要な会議は「入試会議」くらいでしょう。
他の会議はなくても大丈夫です。
というより、なくすことで、先生方の時間的余裕を生み出すことにつながると考えます。
意味のない会議ばかり
今、ほとんどの学校で行われている会議は、本当に意味のあるものでしょうか?
今一度、ご自身が出席される学校の会議を振り返ってみてください。
次のような先生、いらっしゃいますよね……?
- 他事をする先生
- 居眠りをする先生
- 文句を言う先生
- 途中で退室する先生
- 何も発言しない先生
どの先生方も、強制的に参加させられているだけで、目的意識もなく ただ座っている(寝ている)だけのように思えて仕方がありません。
また、会議をしたところで、何かが良くなるというわけでもないように感じます。
むしろ、教員の体調や家庭内事情が悪化したという話はいくらでも聞いたことがあります。
さらに言えば、職員室にいる数人で相談し、解決策を考えた方が、よぽど短時間で終わりました。
そのため、わたしは、学校の今の会議が意味のないものだと考えています。
学校の会議の効果は小さい
ムダな会議について、会議に対する効果を考えたことはありますか?
費用対効果ならぬ、「会議対効果」です。
会議の時間・回数・人数に対して、どの程度 よい効果があったのか、あるいは悪い影響があったのかをもっと見るべきです。
たとえば、わたしが出席した ある日の職員会議のデータです。
- 議題数
8つ
(主に報告・質疑応答) - 人数
70名 - 所要時間
15:50~17:10
報告がメインでしたので、効果も何もありません。
個人的には、効果ゼロだと考えます。
そのため、70人を集めて、1時間20分もかけたことは、悪い影響でしかありません。
こうしたムダな会議のあとは、たいてい「今日の会議は必要なかったよね」と愚痴をこぼす先生がいます。
つまり、多くの先生が実際にムダだと感じているのです。
にもかかわらず、わたし以外の先生方は、愚痴をこぼすだけで何もされようとしないのです。
もちろん、管理職も含めて、です。
不思議で仕方ありません。
会議をなくし目標の共有を
また、「会議の時間だから、ただ会議室に行く」という先生方のなんと多いことか……。
会議の目的のなさや、それを共有できていないことに呆れます。
わたしが知っている社長さんは、常に従業員との目標や目的の共有を第一にしていると言っています。
そうすることで、皆が「社長」になり、社員も会社全体も成長・発展するのだと言われます。
社員を集めて会議を行うことはありません。
目標や目的の共有を日ごろから行っているから、会議なんて必要ないのです。
これは、企業だけでなく、学校という組織でも言えることです。
8人以上の会議は即廃止
元教諭のわたしが思うに、8人以上が集まる会議ほどムダなものはありません。
人数が多ければ多いほど結論が定まらず、話し合いに時間がかかりやすいからです。
わたしが経験してきた数々の会議のうち、先生方が会議中に論争し始めるという場面に遭遇したことがあります。
「他所でやってくれ……」
その場にいた先生全員がそう思ってました。
わたしは、学校がこれほど非効率的な組織だとは思っていませんでした。
高校だったので、なおさらわたしよりも効率よく業務を遂行される先生ばかりなのだろうと思っていました。
そもそも、教員の方々は「会議」を 意見を出し合ったり、議論したりする場だと勘違いされている節があります。
学校で行われるどの会議も、本当の「会議」ではないことに初任者教諭のときから違和感を覚えていました。
しかも、ベテランの先生方も、それら会議のムダさを知っているにも関わらず、変えようとされない。
「学校に毒されている!」
と初任者教諭のときに感じ、退職を決意しました。
今すぐにできることは、8人以上の会議をなくすということです。
そうすれば、会議の一部は残すことができるでしょう。
それができないのなら、せめて、
「30分経った時点で 会議を打ち切る」
というように、制限時間を設けてください。
そして、それを必ず実行してください。
会議は報告会であるべき
わたしに言わせてみれば、会議は 報告会であるべきなのです。
そうすれば、ものの10分で終わります。
皆さんで議論するのは、会議の前までに行っておくのがふつうです。
学校の先生方は、「そのようなことができないくらい忙しいんだ!」と言われます。
それは言い訳です。
やろうとされていないだけで、自分で時間を作るのが当たり前だとは思われないのでしょうか。
私が教諭だったときは、時間割変更のリーダーでしたが、定時に出勤し、定時に退校していました。
持ち帰り仕事は、テストの翌日に返却しなければならなかった年2回の採点業務だけです(2時間で終わる程度)。
もちろん、初任者教諭のときから、17時を過ぎて行われる「話し合い」という名の会議には出ませんでした。
報告会すら要らない
話し合った結果や方針を全体に周知する必要があるのは分かります。
ただ、それくらいのことで いちいち全教員を集めていては、効率が悪過ぎます。
そのため、報告は、すべて書類の回覧で終わらせましょう。
書類の回覧にすれば、報告会の10分も必要なくなります。
ちなみに、わたしが所属していた分掌の主任さんは、報告だけの分掌会議を開きませんでした。
その代わり、書類を回覧することで情報の共有をしていました。
実際に、効率的に業務を行おうとされる先生もいらっしゃるのです。
書類の回覧はオンラインで
新型コロナウイルスの事情を踏まえて、密になる可能性を考えた時、会議が危ないことは誰が見ても分かります。
また、紙媒体による感染も危ぶまれます。
そこで、校内サーバーを利用し、データとして情報を共有することがもっとも有効だと考えます。
今こそ、会議も 書類管理も なくすべきときなのです。
学校には、教育委員会などの許可をもらうことで、使えるようになるツールもあります。
さらに言えば、教育委員会の方々も頭が固いので、どうにかして柔らかくなってもらえませんかと直訴する勢いをもってください。
管理職であれば、その責任とその分の給与が発生しているのですから。
古い制度に固執していないか
学校は、古くからの制度が続いてしまう悪い傾向があります。
学校という閉鎖的な職場は、いつまでトップダウン型であり続けるのでしょうか。
まぁ、それはさておき、今なお 時代遅れのトップダウン型であるからこそ、管理職のワザが問われているのは言うまでもありません。
とくに主任以上になると、新しいことをすぐに取り入れようとはしなくなります。
良く考えていらっしゃるのでしょうが、行動力に欠ける方が多いと感じます。
そのため、結局 アクションを起こすタイミングが合わず、提案をダメにされたという先生方を見てきました。
管理職、とくに校長が言い出さないと、古い制度がパッと変わることはありません。
そんな時代遅れの学校で勤務したくないと思い、わたしは退職しました。
もし、わたしが学校の長だったら、もっと効率よく業務を行えるしくみを整えます。
少なくとも、多くの学校の会議が時代遅れであることは確実です。
管理職の顔色をうかがう教員がほとんどなので、脱教諭のわたしから管理職の方々に言いましょう。
管理職の方に限らず、多くの教員の方に言えることですが、思考をストップさせてはいけません。動くことを諦めてはいけません。
愚痴をこぼしたり、イヤだと感じたりしているなら、声を上げて改善しようと動くべきでしょう?
変化を恐れていては いけません。
海外から遅れをとっている日本の教育は、今 変わるべきなのです。
時代に取り残されつつある日本の学校教育を 何とかして再興したい気持ちでいっぱいです。
さぁ、立ち上がりましょう。
最後までお読みいただき、ありがとうございます。