学校では教えられない【人生を変える瞬間】
学校に通っていて、
「先生は、本当のことを教えてくれない」とか、
「大人はみんな 嘘つきだ」とか、
思ったことはありませんか?
わたしは、そう思ったことがあります。
きれいごとばかり並べられて、「努力が大事だ」、「頑張らなきゃ成功できない」なんて言われながら、学校生活を送りました。
はたして、本当にそうでしょうか?
今回は、悩めるあなたに向けて、この記事を書かせていただきます。
学校は「集団」を重んじ、「個人」を消す
わたしが中学生だった頃、学校という場所に違和感をおぼえるようになりました。
なぜなら、みんなが同じように生活していないと、注意されるからです。
たとえば、部活動が挙げられます。
わたしの中学では、2年半の間、どこかの部活動に所属させられ、活動を強制されます。
やりたくない活動を無理に強いられることは、苦痛で仕方ありませんよね。
朝部活だって、7時15分には登校していないと、参加していることになりませんでした。
だから、(本当は活動しないのに)「生徒会活動があるから」と言って、部活に行かない日もたくさんありました。
こうしたことに対して、「先生に注意されて あたり前だ」と思われるかもしれません。
しかし、わたしにとっては、とても窮屈なことだったのです。
だから、
「生徒会執行部に入って、この学校のしくみを変えてやる!」
なんて思ったことがありました。
しかし、所詮は学校という「集団」・・・。
その「集団」で、まかり通っている 悪い伝統を変えるのは、先生という身分・権力が必要なのだと分かりました。
生徒会執行部に入って、一生徒では、先生に何の抵抗もできないと思い知らされました。
どんなに学校を良い方向へ変えようと思っていても、先生の手のひらの上で、コロコロと転がされてしまうだけなのです。
はっきり言うなら、先生がわたしの考えをつぶしにくるのです。
「みんなで協力して活動しなきゃいけないよね。
あなた一人で考えたことなんて実現しない。無意味なんだよ。」
そんなこともありました。
そうして、先生は「信用ならない存在」へと変わってしまったのです。
そんな青年期を過ごし、わたしも社会人になりました。
実を言うと、わたしは、公立学校の先生をしていたことがあります。
だから、先生という立場もある程度は理解できます。
学校や社会という「集団」の中で生きていかなければならないから、お互いに譲れるところを見つけよう。
そして、「集団」を維持するために、その「集団」からはみ出ることなく、協調性をもって 事に当たろう。
という感じです。
これは、職員室、つまり、先生方だけの場所でも言えることです。
先生には、「組合」という組織があります。
その学校で、「組合」に所属していないと、まわりの先生からの援助が得られにくくなる ということが実際にありました。
だから、今でも、この後半の考え方には吐き気がします。
先生も含め、「集団」から はみ出ても、良いではありませんか。
人それぞれ、いろんなところが違うのです。
むしろ、はみ出て当然だと思うのは、わたしだけなのでしょうか。
個人を 枠に はめることなどできないと、なぜ気づかないのでしょうか。
わたしは不思議に思います。
今までの学校教育、そして、それを受けてきた大人の責任によるものなのでしょうね。
でも、本当のところは分かりません。
誰も、正しいことは教えてくれないのです。
自分で見つけ出すしかないのです。
「正しいこと」とは何か
偶然 手にとった本に、人生のヒントがあった
わたしは、今日、ある本に出会いました。
それは、松浦弥太郎 著「最低で最高の本屋(DAI‐X出版)」です。
学校や先生は、心から信じることはできない。
嘘をついている。
これが学生当時のわたしの見解でした。
著者も これに似た思いを抱かれ、高校を中退されているのです。
なんだか、本の序章で、わたしの意識が引きこまれていきました。
著者は、高校を中退してから大変な生活を送られたようですが、それには「意味」のあるものだったと記されていました。
- 土木系を初めとする さまざまなアルバイトを経て、マナーやふるまいを心得たこと
- 「渡米」を目的にアルバイトして、アメリカで生活していらっしゃったこと
- 渡米と帰国を繰り返しながら本屋さんを開いたこと
- 日本全国を旅しながら本屋さんをされていること
などなど・・・。
この本を読み進めるうちに、尊敬に似た思いが芽生えました。
わたし自身も、今の「集団」から離れ、「自由」に生きていこうと強く思っています。
「自由」であることとは・・・?
松浦氏の著書には、「自由」についても書かれていました。
わたしも何度か「自由」について考えたことはあります。
が、この答えは、未だに見つかっていませんでした。
著書では、このように書かれています。
誰かのせいにして逃げることはできなくても、自分の気持ちには正直にやっていくことができる。
それが「自由」ということなのかもしれません。
学校や会社といった「集団」に所属していると、自分の気持ち正直にさらけ出すことは難しいです。
しかし、誰かのせいにして逃げることができます。
その一方で、「集団」に所属していなければ、自分の気持ちを思う存分さらけ出せますが、逃げることはできません。
ここで言う「自由」とは、自分の気持ちに素直になれることです。
「集団」の中にいると、自分の気持ちを隠して生きなければなりません。
これは、とっても窮屈なのです。
「ちっとも自由じゃない」そう感じるのです。
そうして、あなたも、わたしも「集団」の中にいると、ストレスが溜まっていくのです。
そのあと、わたしは、こうして書きまくるのです。
これが、わたしの ストレス発散方法でもあり、生きがい でもあります。
あなたも、どこかに、自分の気持ちを解放できる場所をつくるといいですよ。
いっしょに「自由」を感じませんか?
何が正しいかは、自分の中にある
正しさの根拠って、何だと思いますか?
法律に定められているから?
親や友達が言っているから?
そうしたものは、まったく当てになりません。
著書の内容をかんたんにまとめてみました。
- 神様はいる。自分の中にいる。
- 最後まで諦めないことが大切。
- 夢をもって、追いかけ続ける。
- 食べられないものは売りもの。
たとえ、それがなくても、失っても構わない。
だから、いろんな物に対して、執着せずに済んでいる。- 本当のことは、学校では分からない。
- 児童養護施設には、大人を信じることができない子どもたちがいる。
だから、本の寄付は、やめることなく続ける。
冊数は少しでもいいから、続けることが子どもたちの信頼に繋がる。
- 正しいことの指針は、誰かがそれで悲しむか悲しまないか。
こうした文章を読んで、あぁなるほどな、と納得させられました。
つまり、正しさは、すべて 誰かを大切に思う 自分の気持ち次第だということです。
あなたが考える上で、「誰かを傷つけてしまうかも…」と思ったことは、正しくないことです。
ここで大切にしていただきたいのは、「誰かが傷ついてもいいや」という考えは、根底にないということです。
わたしが思うに、傷ついていい人なんて、この世に一人もいません。
「誰それが傷つこうが、知ったこっちゃない」
そう思っているあなたは、自分自身を受け止めることすらできていない可哀そうな人です。
自分自身を受け止めることは、正しいことを見分けるための入り口です。
そんな入り口でつまずいて、自分自身が傷つくことに気づいていません。
こうして、ここまで書いてきた「正しいこと」も、わたし自身がそう考えるからこそ、自信をもって正しいと言い切れます。
読んでくださっているあなたに、傷ついてほしくないからこそ、今、ここで「正しいこと」について考え直していただけたら幸いです。
戦争なんて、もうやめませんか?
誰も悲しむことのない世界など、ありはしない。
そんなのは、ただの戯言だ。
とおっしゃる方に、何度か出会いました。
確かに、そうかもしれません。
あなたは幸せになれるけれど、別の人は不幸になってしまうことだってあります。
不幸を感じた人は、ほかの人にその不幸を分け与えていきます。
そうして、何度 戦争を繰り返してきたことか・・・。
著書では、こう述べられています。
「最高」の面だけではなく、「最低」の部分があって両方のバランスがあることがいちばんの正しさ。
世の中の事も、自分の心の中にあることも、すべて受け入れることが、最低で最高の生き方。
個人個人が見極める正しさ。
神様は自分の中にいるのだから、ただ自分自身との戦いで学んでいく。
本のタイトル「最低で最高の本屋」は、高村光太郎の【最低で最高の道】からきています。
あなたも知っての通り、人間は、完璧なものではありません。
だからこそ、最低な部分「短所」と、最高な部分「長所」をもって生きているのです。
あなただけではなく、あなたと関係のある人たちにも、その両方があるのです。
だから、相手に、完璧であることを求めてはいけないのです。
完璧を求めるほうがどうかしているのです。
また、相手を見下したり、バカにしたり、言葉の暴力をふるったり・・・。
このような相手の「短所」しか見ない生き方では、本当の幸せはゲットできないと思ってください。
だって、あなたも「短所」しか見てもらえなくなってしまいますから。
大きくも小さくも、そうした戦争(争い)を引き起こそうとする考え方は、もう必要ないのです。
むしろ、そう考えていても 無意味だとわたしは考えます。
相手の最低な「短所」と最高の「長所」、この両方を受け止め、理解すれば、戦争なんてなくなります。
それに、戦争しない方がお互いにとって幸せなことなのです。
お互いに消耗したり、傷ついたりしてしまうことがありません。
そのために、やるべきことは、あなた自身の「短所」を受け止めることです。
そして、「長所」を活かすことです。
自分自身を理解した日が【2nd Birthday】
あなたがこの世に生まれてから、何年が経ったでしょうか?
今まで、あなたが生きてきて、感じたもののすべてで、「あなた」という唯一無二の存在がつくられました。
そして、今も「あなた」をつくっている最中です。
地球上にいる 人間は、みんな こうして さまざまなものに刺激を受けながら日々を生きています。
そんな日々を過ごす中で、この世でたった一人の人間となるのです。
地球上のどこに行ったとしても、まったく同じ人間がいないのは、このためです。
親が違うのはもちろん、生まれ育った環境だって大きく違います。
しかし、「生きていること」は、みんなに共通していることです。
生きているからこそ、いろんなことを感じる・・・。
その中で、自分なりの正しさを見つけていくのが わたしたち人間なのですね。
こうして、自分なりの正しさや、自分の「短所」「長所」を本当に理解できたとき、あなたの2回目の誕生日がやってきます。
これが「2nd Birthday」です。
「思い」は 必ず届く
これは、わたしの経験上、あなたに お話しできることです。
できないからと言って、そこであきらめたら本当に可能性が0%になってしまいます。
そんなのは、もったいなさすぎます。
どんなに難しくたって、最後まであきらめないでください。
あなたがもっている強い思いは、だれにも変えられないものです。
あなた自らの手で捨ててしまわないでください。
思いさえあれば、人は、本当に何でもできます。
相手を傷つけたり、誰かを悲しませたりしてはなりませんが、あなたが正しいと思った道こそ、最後まで信じるべき道です。
わたしは、あなたの役に立ちたいし、誰かの希望になりたいと強く思っています。
だから、こうして、書かせていただいています。
さらに、誰かの希望になるだけじゃなく、希望であり続けたい という思いも抱いています。
ただし、負の感情やマイナスの思いでは、悲しみの渦を生み出してしまうので、ポジティブに考えるようにしています。
こうした努力も また、人生という名の道を拓く力になってくれるのです。
強くて、ポジティブな【思い】こそ、人生を変えるときの大きな力になります。